
Release of special photos
驚きの写真です

| 今回は、殆どの人は見ていないと思われる鉄道の投稿を編集してみました。実は、私も初めて知った鉄道と車両です。 実は、この写真はかつて、某鉄道誌に掲載されています。それにしても、私はこの鉄道の存在すら知りませんでした。今回写真を投稿頂いたFT氏にその鉄道雑誌に載った写真と紀行文のコピーを読んでみて、初めて詳細を知ることが出来ました。 簡単に説明しますと、鳥取県にあるバス運行を主としている「日ノ丸自動車会社」が運行していたローカル私鉄電車でした。大正13年に開業し、社名は法勝寺鉄道という名で単独の鉄道会社でしたが、その後幾多の変遷を経て、戦後の昭和28年に鳥取の大手バス会社「日ノ丸自動車」に吸収され、「日ノ丸自動車・法勝寺電鉄線」となりました。しかしその後、事故を含め、乗客減などの鉄道路線衰退のお決まりのコースをたどり、1967年(昭和42年)5月には最後まで残っていた米子市-法勝寺間が廃止となり、ここに鳥取に走っていた、私鉄電化路線は消滅したのです。 この路線が廃止になるという1か月前に、撮影者のFT氏は、この線を訪れています。ギリギリのところでよく米子まで行ったものと感心しますが、いずれにしても、貴重な鉄路と古典車両の最後の姿をカメラに納めることが出来ました。 氏は「廃止間際の休日にもかかわらず、ファンには一人も会わなかった」と語っています。伯備線には多くのファンが行っていたはずですが、この路線は殆ど注目されていなかった、ということなのでしょうか。 誰もいない路線を氏は、自由に乗り降りし、車庫にも邪魔されずに入り、思うように貴重写真を撮れたとは、今では信じられないことです。事実、色々調べても、殆どこれらの古典的電車にはヒットしません。 従って、電動車や付随車などの写真の説明は、先の鉄道誌には各車両の経緯も解説されていますが、ここでは複雑すぎるので敢えて省略します。 私は、このHPでも何回か書いているように、電動車が大好きなので、(国鉄で言うクモハ)中心に写真を掲載しました。しかもダブルルーフで本当に太陽光を取り入れていたか不明ですが、三角錐の灯りも残っています。 私の好きに写真を選定して貼っていますので、偏っている点はご容赦ください。そして、こんな素晴らしい電車が走っていたことを知っていただければ幸いです。 なお、車両等の詳細をお知りになりたい場合は、下記の文字で検索してください。 |


| その終点駅・法勝寺に既に留置されていたデハ205号です。雨水が垂れ下がって側面は筋が出来ています。もう手入れもなされていなかったのでしょう。もとは尾西鉄道にいた車両です。大型のビューゲルを使っています。前面は雨樋もついていません。 |

| 米子市駅と法勝寺駅のほぼ中間に「手間」という交換駅があり、側線がいくつかあって、そこは廃車用車両の留置場のようになっていたようです。これは、本線を走ってきた現役電車、デハ201号です。車体がねじれています。よくこれで走っていましたね。 |

| 手間駅での交換風景です。右は法勝寺行のデハ201、左が米子市行のデハ207です。デハ201は恐ろしく汚くなっています。これも手入れをせず、雨水垂れ流しのせいでしょうか。それに比べると207はまだまだ使えそうに見えます。最後までここは有人駅だったのですね。乗客の割に駅職員が多く見えます。ここの電車は日本では珍しい「Y字形」のビューゲルが多く見られました。 |

| 手間駅の留置線には付随車2両が放置されていました。前方のダブルルーフはフ55号で、手前がフ50号です。貨車の様な板バネの単車で、国宝級の車両ですね。これと、デハと組んで走っていた時代に撮りたかったですね。窓の作りも独得です。 |

| さすがに米子市駅はちょっとした町のようです。このデハ201も雨樋がないので雨水での腐食でしょうか、かなり汚れています。リベットなど錆びているのではないでしょうか。戸袋窓だけHゴム化されていますが、どういう外装になっているんでしょうか。ノーシルノーヘッダーにも見えますし、手動ドアで雨対策でHゴムにしたようにも思えます。ドアステップも危険そうです。 |


| さて、最後にもってきたのは、私の好きなダブルルーフのボギー電動車です。まずこれはこの日に走っていた上の列車の牽引に充たったデハ207です。この車両にはしびれます。屋根には雨樋があるので、ボディは汚れていません。ただ、ダブルルーフには明かり窓がついていませんね。潰したのでしょうか。またヘッドライトはシールドビームより小さいですが、白熱灯だったんでしょうか? |

| このデハ203は最高ですね。 非の打ちどころのない、私好みの素晴らしいスタイルの電動車です。最後まで残った電動車の一つです。この鉄道の存在と、こんなに素晴らしい電動車が山陰にいるとは夢にも思っていませんでした。しかも木造。これだけでも撮りたかったですね。とても悔やまれます。 |

| 米子市駅の構内の奥に留置されていた付随車(客車)の、フ51とフ52です。既に廃車状態であったようで、木造の染みや汚れなど荒れ放題に見えます。解体されていないだけ幸運でした。改造はされたようですが、この時の車内はどうなっていたのでしょうか。特に前のフ51の窓配置を見るとクロスシートのようにも見えます。手動ドアなので、ちょっと入って車内の写真が欲しかったと思っています。また、今だったら、こんなところに廃車体で置いておいたら、まず一番にホーロー行先板が盗まれることでしょう。誰も訪れていなかった証拠でもあります。 |

| 氏は法勝寺線の撮影の後、米子機関区に立ち寄ったそうです。かつてC54が終結していましたが、時代はちょっと遅かったようです。これは有名なゾロ目のC1111です。いいところに停まっていました。米子鉄道管理局の蒸機はシールドビームが多かったですね。 |

| 1965年5月10日に昭和天皇皇后両陛下鳥取県全国植樹祭(第16回)行幸啓のお召し列車が走りましたが、その時の牽引機に指定されたのがC1111でした。牽引は米子ー境港間 でしたが、3時間弱で折り返すため、上りの牽引機は別機C11342に交代しました。 この写真は、私が高校生のころ、鉄道友の会で知り合った大先輩の今井瑞雄氏が私にお送りくださった写真です。復路の上りの牽引機の342号も送っていただきましたが、本件とは関係がないので割愛いたします。 撮影:今井瑞雄氏 所蔵C6244 |